私にとってちょっとしたチャレンジだったのが、官能小説のサイトを開いてみることでした。それまでとても興味はありながら、中々開くことができなくて。。でも飛び込んでみてその居心地の良さにビックリ。可愛らしい雰囲気のサイトも凄く多くて、みんなイキイキと作品を書いてて、とっても賑やかなんです。私は読む方ですが、思い切ってコメントを残したりして少しずつ楽しみ方が増えてきています^^

バージョンアップが間に合わない

車で移動する際、紙の地図ではなくナビゲーションシステムを使うのが当たり前のように感じていたのですが、万能に思えたナビも、場合によっては残念なことになるのですね。エスニックジョークか何かで、ドイツ人はナビに「進め」と言われたら前方が壁だろうがトイレだろうが迷わず突き進む……といったものを聞いたことがあります。先日、遠方に住んでいる親類の家に出掛けた際には、ナビ上に表示された地図の川を飛び越えてしまいました。
どうやらその辺りは再開発が進み、どんどん新しい道が出来ているようなのです。そのため、マップのバージョンアップが間に合わず、こんな不思議なことになってしまったようです。住所のデータを入れて、後は案内された通りに突き進めばよかったはずが、道中に新しい道がいくつも挿入され、交通事情が変わったためか、いつまで経っても目的地に着きそうにありませんでした。結局、紙の地図を助手席の家族に見てもらいながら走った方が効率が良かったです。
そういえば、機械に記憶を預けていると、健忘症に似た症状が引き起こされる……という話がありますね。私も、ナビに頼るようになってから、道を覚えようとはしなくなりました。いずれは何でも、例えば読んだ小説の内容なんかも、どこかの記憶媒体に預けるようになるのかなあと思うと、ある意味忘れなくなって良いような、悪いような……。

ピアノを習っていた頃のこと

思い出の詰まった物を捨てる時って、勇気が要りますね。でもいざ収集車に持っていかれてしまうと、何だかすっきりとした気持ちになります。先日もそのようにして、ピアノの楽譜を捨てました。ほとんどまともに身に付きはしませんでしたが、子供の頃から習っていたんです。小説と同じくらい古い趣味です。本当に懐かしいです。最初は楽しんで弾いていたんですが、長じるにつれて色々な要因が重なり辛くなっていったことも、辞める時は辞める時で大泣きしてしまったことも、とても良い思い出です。
当初は捨てるつもりなど毛頭なかったのですが、母がふと、私の部屋の収納ボックスから漏れた楽譜を手に部屋に現れて、「これ、もう捨てちゃって良いよね?」と問いかけてきた瞬間に、壁のようなものがふっと崩れたのを感じました。
手放す前にアルコールで埃などを拭っていると、色んな思い出が蘇ってきました。楽しかったことも、悲しかったことも。また泣いてしまって、そこを家族に見られたのが少し恥ずかしかったです。
我が家から楽譜が消えて数日後、壊れた家電を買い換えに電気店に赴きました。そこで、電子ピアノの陳列コーナーがふと目に止まり、○歳の時に発表会で弾いた曲を何とはなしに弾いてみると、楽しい気持ちだけが蘇ってきました。また始めても良いかなあ、と素直に思えました。

GIF画像で笑いを

ちょっと心が疲れたなあという時、インターネットで猫のGIF画像を探します。動画よりも短いので、ざっと流し見するのにもちょうど良いのです。ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめるニャン、百烈拳かという勢いでネコパンチを繰り出すニャン、専用戸口にラップが張られているのに気付かず突撃してぶちゃいくになってしまう子猫……どの子もとてもかわいいです。
GIFといえば、猫に限らず面白い物がいっぱいありますよね。たくさんまとめられているサイトなどはついブックマークに入れてしまいます。重いのか、表示に時間がかかるのが難点ですが……。
たくましいお兄さんが絶妙な笑顔を浮かべて肩を揺り動かしていたり、ブランコを漕いでいるお兄さんの真下に長い柄のついた熊手を突き刺して激痛を与えたりと、関西人でなくても突っ込みたくなるようなもの、大好きです。ツボにハマるといつまででも笑ってしまいます。テンションが上がりがちな真夜中だとなおさらです。
夜、ちょっと小説を読む気にはなれない時などに、重宝しています。いまいち小説の世界に没入できない時なども同様です。笑うって本当大事ですね。淀んでいた気持ちがさっと晴れて、リフレッシュ出来ます。抵抗力が上がるという話も、分かる気がします。

緑色つれづれ

学校の黒板が緑色なのは、目に優しいからだといいます。さっと書けてすぐに消せるホワイトボードや、ノートパソコンなどの画面をプロジェクターでスクリーンに映すような講義風景が増えてきたそうですが、昔ながらの黒板も出来るだけ生き残ってほしいなあと思う○○才です。
そういえば数年前の夏、緑が豊かなことで知られる観光地に遊びに行った際、どこもかしこも鮮やかなグリーンで覆われていて、若干目の負担が軽くなったように思いました。眼鏡を掛けていたのですが、到着したての頃と、半日過ごした後とでは、視界のくっきり感が違う感じです。行動を共にしていた友人にそのことを興奮気味に伝えると、「まっさかー」と一笑に付されてしまったのですが……。決して錯覚ではなかったと思うのですが、何にしても、小説などをずっと読んでいて目が疲れたとき、部屋に置いている観葉植物を眺めたりすると、チリチリ感などが軽減されて、なかなか良い感じです。
黒板とは若干関係ありませんが、某カナダ小説の女主人公が石板で男の子をたたく場面がありますよね。初めて読んだときは子供用の平易な絵本で、挿し絵が付いていたので何とかイメージ出来ました。それがなかったら、中近東辺りで出土するようなまさに「石の板」をイメージしていたろうと思います。

変わったこと、変わらないこと

学生時代は水分を摂るのが苦手でした。夏などは余分に汗をかいてしまうと思っていたので、我慢していました。今思うとよく熱中症などで倒れなかったと思います。背中に汗をかいてシャツが貼り付いたりすると格好悪い、などと考えていました。ほかにもいろいろ、自分でルールを作っていました。所属するグループ内での暗黙の了解のようなものもあったと思います。年を取ると、そんなこと知るか!とひたすら自分が心地よく過ごせることのみを追求するようになってしまいましたが。
休みの日に遠出した折など、あの頃の私と同じ年頃の女の子たちが楽しそうにしているのを見かけます。すると、何やら甘酸っぱいような、ねたましいような、ほほえましいような、複雑な気持ちが胸のうちに広がります。私自身、あの頃から変わったところも、変わらないところもあって、きっと色々な「私」が反応しているのでしょうね。
昔から全く変わっていないのは、やっぱり小説を読むのが好きなことでしょうか。習いたてのローマ字でしりとりをしなさい、という課題を出された時、皆が動植物や食べ物の名前などを続ける中、1人だけ気取って小説のタイトルだの、地の文中に出てきた専門用語だのを並べていたことがふと思い出されました。自己顕示欲もきっとそう変わってませんね。

生姜焼きにチャレンジ

豚肉の生姜焼きが好きなのですが、なかなか自分の理想の味に近づけません。理想の味というのはすなわち私の母の味なのですが、彼女の「なんとな~く、これくらいかな?」レシピを参考に何度作っても、同じ味には決してなりません。
思えば小学生の頃、彼女が作ってくれたお弁当に入っている、冷えた生姜焼きを食べるのが本当に楽しみでした。冷えて脂が白く固まってしまっていても、味がしっかりしているせいかとても美味しかったんです。
「何とかあの味をいつでも作れるように……!」と何度チャレンジしてもいまいちな結果にしかならないので、そろそろあきらめが入ってきていますが、他の家族は私作のものでもそこそこ喜んでくれるので、何とかやる気を保てています。お世辞でも褒められるって大事ですね(笑)。
そういえば1度、この生姜焼きでやたら褒められたことがあります。それは学生時代に付き合っていた男性とピクニックデート(!)に出掛けた時のこと。自分でもそこそこうまくいったなあ、と味見の際に自画自賛したものを詰めて持っていったところ、当時の流行言葉を枕詞にべた褒めされました。もっとも、次に作ったときには「んん、あれ?」なんて首をかしげられてしまったのですが。
やはり母の影響は偉大です。私の趣味の大部分を形作っている小説という分野に関しても、彼女の影響が大きいので……超えられる日はまず来ないような気がしています。

友人が最近ハマったアニメ

小説仲間でもある友人が、最近、とあるアニメにハマりました。それは数年前に大ヒットした、私でもタイトルを知っているくらい有名なものです。原作のマンガを大人買いし、2期あったアニメのブルーレイも買って、すっかりそれ1色の生活を送っているとのことでした。私も興味があったので、彼女の家にお邪魔する際に、是非布教してもらうことにしました。
とりあえずマンガから……と読んでいるうちに、その重くも真摯な世界観にすっかり惹き込まれてしまいました。合間合間に挟まれるギャグも小気味よく、あっというまに全巻読み終えてしまいました。その頃にはすでに夕方で、映像になったものはまた今度ということでおいとましました。
それから時を経ずにまた彼女の家にお邪魔し、テレビ版を1クールほど視聴しました。こちらはギャグ少なめでシリアスな面が強調されているように思いました。でも作画の美しさも相まって、これはこれで素敵でした。こちらも予備知識が増えてきたので、彼女と少しずつ語り合える内容が増えてきたのがうれしく、楽しかったです。
さらに2期、映画版、と回数を分けてコレクションを味わわせてもらい、とても楽しい時間を過ごしました。趣味を共有できるって素敵なことですね。

電話を受けるのが苦手です

この間の夜のことです。夕食の後片付けを終えて自室で積み小説を消化していると、スマホに着信がありました。それは古い友人からのもので、彼女とは電話で話をするのが久々だったこともあって、一瞬取るのをためらってしまいました。それでも何とか勇気を振りしぼって応対すると、最初は少しぎこちなかったものの、次第に昔通りに話せるようになりました。
実は私、電話を受けるのがものすごく苦手なんです。不意を突かれてテリトリーに侵入されるような感覚を覚えてしまいます。自意識過剰だと分かっているのですが、反射的なものでとめられません。○年前は携帯電話を持つのも嫌で、購入に至るまでにはかなり時間がかかりました。いつでもどこでも手軽にコミュニケーションが取れるというのは便利なことではありますが、その分監視されているような気がすると言いますか、精神的な逃げ場が失われるように思っていたのですね。
今は少しずつマシになってきています。たとえその場では居留守を使って出なくて済んでも、いずれ自分で掛け直さなくてはならないんですよね。それは固定電話も同じではありますが、外出先でも受けなければならないというのがプレッシャーでした。が、何事も慣れですね。

なかなか連絡がとれなかった友人

しばらく連絡がとぎれてしまった友人がいました。彼女とはいつもメールでコミュニケーションをとっていました。私も小心者で、何かまずいことを書いてしまったのかなあ、と1人反省会をしていました。同じ言葉でも、直に顔を突き合わせて話すのと、文章とでは、印象がガラリと違ってしまうということがままありますよね。改めてメールをする勇気が出ずに、そのまま連絡を取らないでいました。
そうこうしているうちに半年ほど経ち、彼女とどうにも何か話したくてたまらなくなったので、ダメでもともと、とメールを入れてみると、なんと彼女も私のそれを待っていたことが分かりました。どうやら意図した断絶ではなく、何かの行き違いで、メールが届いていなかったようです。そしてお互い遠慮しあっていた、と。笑い話ですね。
せっかくだったので後日お茶をしました。全く気まずくなかったのがとてもうれしかったです。変に遠慮せずにガンガンいったほうが良いこともあるのですね。チキンの私には学ぶことが多かった出来事でした。
近況報告や趣味のことなどを話しているうちにあっという間に時間が経ち、趣味の小説のことや最近の悩みのことまでつっこんで話すことが出来ました。本当に楽しかったです。

家族で野球観戦

数年前の春、野球好きの家族の提案で、皆で試合を見に行くことになりました。ナイトゲームで、我が家から比較的近いところにある球場で開催されました。奇しくもその日のカードは、私たち家族が敵味方に綺麗に二分される組み合わせでもありました。それぞれAチームとBチームのファンだったわけです。
私たちはマイカーで球場まで向かったのですが、シャトルバスなども出ているようでした。その日特別に解放された駐車場から、人の流れに乗って球場まで移動しました。ゲームが始まるまでまだ時間があったのですが、静かな熱気が会場の底でふつふつと吹き上げる時を待っているように感じました。Aチームの熱心なファンがハッピや帽子をかぶってそこここに散見されたからかもしれません。Bチームのファンはそれに比べると少なめでした。ちなみに私はBチーム派だったので、少し悔しかったです。
席はバッターボックス裏手から斜め右といったところで、なかなかの良席でした。ボールの速さを生々しく感じられてとてもうれしかったことを覚えています。テレビ中継などではピッチャー側の視点ですから。
派手な点取り試合となり、それぞれのチームのタオルを回したり傘を上下させたりと、にぎやかな観戦になりました。やはり生で見ると違いますね。部活などを扱った青春小説などを読む際にも助けになりそうで、とても良い思い出になりました。